レーニンは意識は物質の反映であるという反映論を説いたが、意識と物質には差異がある。例えば、日本語の文字は、それを知らない外国人にとってはただのインクの染みに過ぎない。日本語日本文字を理解する人物が主観的に見るからこそ、文字として読まれるのである。文字の本質とは、規則的なパターンであり、物質(インク)そのものではない。現象学では、人間はただ無差別に対象をカメラのように認識しているのではなく、志向性をもって、対象を主観的に<了解>(観察ではなく)して、意味付与していると指摘している。ゲシュタルト知覚という言葉があるように、生物は対象をありのままにではなく、抽象化し、単純化し、象徴化して認識、記憶しているのである。また、人間の身体は新陳代謝を繰り返し、物質的には数年で全身すべてが入れ替わると言われている。しかし、人間は同一の人格を維持している。生命現象の本質とは、タンパク質などの物質ではなく、あくまでもDNAの配列パターンであり、設計図であり、情報である。
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マルクスは「哲学者は世界をさまざまに解釈してきた。しかし重要なのは世界を変革することだ」と主張し、理論革命家が革命を先導すべきだと主張した。これをレーニンは前衛主義として受け継ぐ。しかし、もしマルクスの言うように革命が「歴史の必然」ならば、インテリゲンツィアが信念を持って革命を遂行する必要などないはずである。
笠井潔は、インテリゲンツィアを知的無用者だと述べ、彼らが革命の理想にとりつかれたのは、本来は無用者であるのもかかわらず、自分をひとかどの人間だと思い込んだエリート意識であり、過剰な自己観念であり、にもかかわらず自分を評価しない社会に対するルサンチマン、劣等感であると指摘している。